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聖書は「命の言葉」と言われており、命について述べた書です。多くの人は、「自分が生きていて、自分の命がある」と思っています。しかし、誰も自分で自分の命を作り出した人はいません。いったい、生命はどこから来たのでしょうか。DNAは、誰が作ったのでしょうか。科学者の中には地球以外のどこかから生命が来たのだと言っている人々もいます。そうかもしれませんが、その元になる生命はどこから来たのでしょうか。科学者たちは、納得できる答えを与えてくれません。
パウロという人物は、アテネでその答えを端的に語っています。
「神は、すべての人々に命と息と万物とを与え、また、ひとりの人から、あらゆる民族を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに時代を区分し、国土の境界を定めて下さったのである。 こうして、人々が熱心に追い求めて捜しさえすれば、神を見いだせるようにして下さった。事実、神はわれわれひとりびとりから遠く離れておいでになるのではない。われわれは神のうちに生き、動き、存在しているからである」(使徒17:25-28)。
私たちは個別の命があるように錯覚しがちですが、そうではなく「神のうちに生き」ているのです。宇宙や全地球全体を覆う、唯一の普遍的な命を神というのです。ところが、多くの人々はこの命から離れて、自分の命が別にあるように考え、「自我意識」で生活しています。これを「死んでいる」と聖書は言っています。
この「死んだ」状態から脱却して、命に移る道を開いたのが、イエス・キリストの十字架です。聖書はその道を教えています。聖書は宗教の書物ではありません。「キリスト教」という宗教を信じるのではなく、あなた自身の命が新たに変えられる必要があるのです。
聖書研究会牧師 村岡 丈夫